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白襟兵の志願残業問題

最近気になったエントリーから

 

各自が経営意識を持ち、利益に敏感で、営業職でなくとも営業感覚を持つことが期待される職場では、「意欲・適性・能力」というあいまいな基準で駆り立てられつつ、働き手は自らを複雑な職務配置のなかに投げ込み続け、労働環境の自律性を放棄しているのである。

日本的働き方における「フレキシビリティ」の矛盾 - 社会学者の研究メモ

 

元記事は「男女雇用機会均等法では「共働き」を実現できない」と、女性労働者の問題に言及した話であるが、現在の自分が感じている職場のもやもや感に響くものがある。

 

いわゆる社畜残業体質のある職場環境では、裁量労働で自由時間をコントロールできるはずなのに残業が多い。実態の能力が低いこともありえるが、それ以上に残業をしているのを疑問に感じていたところ。

 

白襟兵の志願残業問題

与えられたミッション、タスクを自分の責任として感じている。その結果、仕事を進める上で時間が足りない部分は、納期に間に合わせるために、「残業させてくれ」と志願しだす。上司は「残業するな」とは強くいわないし、反対する理由がみつけられない。

 

・成果物のレベルが過剰(つくりすぎ)

資料の体裁や見ばえから、ソフトウェアの微妙な改善まで。改善項目が無限にわきあがり、際限ないカイゼン活動に入りこむことがある。バックログの管理ができないところに、過剰に期待に答えたいという承認欲求が絡むと眠気と飽きが来るまで止まらないということになる。

 

・作業者意識

「経営意識」を持つ人間の対局にあるのが「作業者意識」を持つ人間である。いわゆるブルーワーカー気質であり、与えられた作業を粛々とこなすこと、こなせることが仕事の証明になる人たち。よく作用する人は何時間かかろうが可能な限り時間を使ってノルマをこなそうとする。よく行けばどんなに仕事を振っても必ずやり遂げてくれるが、悪く作用すると未完成でも納期がきたら終わり、ふたあけてからの悲劇もある。

 

・説明、説得、交渉の忌避。従順でありたい。と

「なせばなる」は営業トークでいくらでも言える。一方「ならぬものはならぬ」を言うとなるととかく難しい。これは仕事の対価を得る立場(発注者)が「ならぬものはならぬ」を聞きたくないが、聞かざるをえない。ということを理解をしなければいけない。仕事の受託側と発注側に必ず発生する論理である。

 

説明、説得、交渉を忌避するの場面は、おおよそ、2つの原因がある。一つは、単に、交渉が苦手ということ。日本人全般がそう。でも、交渉権が認められないならそんな責任うけちゃいけない。もう一つは、交渉にパワー(時間と、エネルギー)が必要ということ。そのパワーで残業すれば終わるじゃないか?!という論理になりやすい。特に時間に関する交渉の準備として、最低限「現状」と「見通し」を揃える必要があるが、日頃から現状把握と先々を読む、いわゆるプロジェクト管理ができていないと、準備に大きなパワーが必要になる。こうなると、巨大なToDoの山を見て挫折し残業に倒れることがある。

 

 責任と権限

仕事の成果に責任を持つことは理解しやすいが、その責任に対してどのような権限があるかは不明確なことが多い。裁量権の範囲がどこまでか確認しておくべきだし、実質の権限が責任にふさわしいかよく見極めたほうがよいのだろうし、仕事を依頼、割り振りする際にはどのような権利があるのかを折に触れ伝える必要があるのだと思う。

 

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このように働き方の自由化は基本的には推進すべき課題であるといえるのだが、「働き方」に関する議論には必ずといってよいほどある難題がついてまわる。それが「生産性」である。

 

著者は、「生産性」の難題について、千差万別としているが、実際問題何がおこっているのか振り返ってみたくなった。これも考える。