デスマやトラブルは人を成長させるか
トラブルを乗り越えれば、精神的にタフになるのは間違いない。
あの時のあれほどでないな、と思うようになり、精神的に余裕ができる。
これがタフになったということの正体だと思う。
間違えてしまってはいけないのは、これを成長と感じることだ。
実際トラブルプロジェクトというのは遮二無二手を動かして、膨大な作業量を、納期というプレッシャーに追われながら、体力と精神力を限界まで使い切る世界だ。
成長というものは「仕事」の中にあって「作業」にはないと思っている。仕事とは「事に仕える」であり、他者に貢献する行為だと思う。仕事を通じて技術を学び、仕事の中で工夫して作業し次の仕事の糧にする、このような学びと改善を成長とよびたい。
改善には色々なものがある。自分自身の作業の効率化であったり、みなのため、将来ための標準化や、自動化もある。作業のトラブルシュートをまとめたり、作業の開始と終了の段取りを減らすための工夫もある。
膨大な作業量を、それこそ心を亡くして忙しく作業をしている時、人はただの機械に成り下がっている。未来を慮る余地などないし、誰もが自分の作業で手一杯で、そこに人と組織(チーム)に成長の余地はない。
よく、トラブルが人を成長させるという誤解は次のような場面が複合して起こる。
- (自分にとって)未知の問題の調査と解決にあたっている場合
- 効率度外視で未経験者が仕事を担当している場合
よくよく考えると、どちらも、トラブルなしで経験できるし、むしろトラブルのないところの方がより健全な成長を期待できる。
痛い目に遭わないと覚えない、とは違う。こちらは失敗の痛みを記憶に植えつけることで、事前に痛みを予防・回避する痛みに対する本能の消極性を利用したものだと思うが、自らトラブルを起こして火中に飛び込めということではない。
人間には火事場の◎◎力というものがあり、追い詰められることで力を発揮することが知られている。この力は、生命の生存本能として精神や肉体のリミッターを解放する、いわば最終手段であって、誰もがもっている隠し能力といえる。
リミッターの解放は、精神と肉体へのダメージを被る副作用があることを忘れてはいけない。本当に一生に何度も味わえないようなトラブルに対してとっておくべきものだ。*1悲しいことに、独りで敵に立ち向かい、応援もないままに、リミッターを解放して戦い続け、副作用から深刻な事態になる人間は後を立たない。
どういうわけか、複数のデスマトラブルを経験するほどにデスマを繰り返すことがある。繰り返すどころか、デスマのリスク予防を一切しない、デスマを前提とした計画まで立てるようになる向きもある。私の周りだけだろうか。むしろ好んでデスマに向かっているとしか見えず不思議でならない。戦場という非日常の高揚感とアドレナリンに酔ってしまったのだろうか、ひょっとしたら既に副作用で…。
デスマやトラブルプロジェクトが人を成長させるなどと気安く言ってはならない。麻薬が見せる幻影にどうか惑わされないでほしい。
一つ、トラブルから成長に繋げる方法がある。
- 客観的にふりかえる
当たり前のことだった。だれでも知っている。
しかし、当事者にとってはとてもとても難しい。
先に述べたようにデスマやトラブルは繰り返されて振り返る暇がないことがある。深刻な副作用を与え、精神と肉体にダメージを受け、トラウマとなって直視できないこともある。つかの間の休息期に、わざわざ嫌な思い出など思い出したくもない、というのが人情というのは、よくわかる。ただ、デスマやトラブルにある人は、あれは土方作業だった、ということにならないよう、ふりかえって作業を仕事に昇華し、次の仕事に向かってほしいと思う。
プロジェクトリーダ、マネージャー職にある人は、メンバーの成長のために、どうか振り返りの機会を与えるよう働きかけてほしい。
ありきたりの結論
トラブルが人を成長させるのではない、人が自ら省みることで成長するのだ。
- 作者: 広江礼威
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2002/12/12
- メディア: コミック
- 購入: 9人 クリック: 169回
- この商品を含むブログ (306件) を見る
*1:アスリートや武道家は訓練して副作用を抑えているからできているのだと思う